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特別寄稿 MJの社会貢献活動について
~HIStory TOURから伝わるMJの言葉~
~HIStory TOURから伝わるMJの言葉~
Text by 藤岡良介 (通称 かあくん)
マイケル・ジャクソン3度目のワールドツアー『HIStory WORLD TOUR』は1996年9月から1997年10月まで、35ヶ国58都市で82公演を行い、450万人の観客を動員しました。表記がHIStoryとなっているのは、マイケルが1995年に発表したアルバムがベストアルバム15曲入りと新曲15曲入りの2枚組で、タイトルに「HISTORY(歴史)」,「His story(彼の物語)」,「His History(彼の歴史)」の3つの意味が込められているからです。
マイケルはそれまで1987年9月~1989年1月の『BAD WORLD TOUR』,1992年6月~1993年11月の『DANGEROUS WORLD TOUR』と大規模なソロツアーを2度、成功させました。
BAD WORLD TOURの売り上げは1億2500万ドルで、現在の2億5000万ドルに相当します。続くDANGEROUS WORLD TOURではそれ以上の収益を上げるのは一目瞭然でしたが、マイケルはDANGEROUS WORLD TOURの売り上げから報酬を得ませんでした。収益は全て、マイケルがツアー開始と同時に設立した「HEAL THE WORLD基金」に寄付されることとなったからです。マイケルはツアーのスケジュールの間にアメリカンフットボール全米王者を決めるビッグイベント「スーパーボウル」のハーフタイムショウに1993年に出演し歴代No.1の視聴率を獲得しますが、その時NFLからも出演の対価として「HEAL THE WORLD基金」に10万ドル(現在の16万ドル)の寄付を受け、マイケル自身はノーギャラで出演しています。
マイケルは、ソロツアーを始める前に兄弟達とツアーを行っているときから、慈善事業に熱心に寄付を行っています。1984年に行ったVICTORY TOURで得た自分の取り分をT.J.マーテル基金や黒人大学基金連合などにあわせて600万ドル寄付しました。VICTORY TOURの直前には飲料ペプシのCM撮影中にアクシデントで頭部に大火傷を負いますが、ペプシが和解金として支払った150万ドルを投じて、ブロットマン医療センター内にマイケル・ジャクソン火傷センターを設立しました。
さて、ソロとなってからのワールドツアーの話です。マイケルが世界を回るたびに各地で報道されるのは、チケット完売速度の新記録を樹立や、コンサート動員記録を更新などのニュースが中心でしたが、じつはマイケルは公演の合間を縫って、訪れた国々の病院や孤児院等の施設を自ら訪問し、おもちゃや支援物資を届け、かつ多額の寄付を行ってきました。この寄付や小児科医療の充実、予算の拡充のため「HEAL THE WORLD基金」が存在します。マイケル自身も積極的に施設訪問などの活動を行い、ある東ヨーロッパの小児科病院を訪れた際は、その悲惨な状況に胸を打たれ「この惨状が改善されないなら僕は明日の公演のステージに立たない」とマネージャーに宣言し、一夜にして病院を劇的に改善させたそうです。
マイケルは、お金を寄付するだけでは無く、自ら行動するアーティストです。ツアーで各地を回れば自ら慰問を行い、音楽やパフォーマンスの面では多くのファンに訴えることが可能な自分の影響力を熟知し、積極的にメッセージを発信していきます。
史上最大の音楽チャリティーとなったWE ARE THE WORLDはあまりにも有名ですが、その翌年1986年にディズニーランド用に撮影され、ディズニーランド内で史上初の4D映画として封切られた「CAPTAIN EO」でも、メッセージは発信されています。
この映画のために書き下ろされたオリジナル曲は、タイトルがズバリ「CHANGE THE WORLD」です。制作に携わった音楽スタッフのマット・フォージャーは、こう語っています。「彼は愛と光と音楽のメッセージを伝えることで、ひとつの惑星を変えていくんだ。」「これは前から何度もマイケルの心の中に浮かんでいたテーマで、実際に彼の曲の多くはそのことを歌っている…どうすればここがより良い世界、より良い場所になるかってことをね。」
DANGEROUS WORLD TOURの2時間のショウの最後2曲は「HEAL THE WORLD」,「MAN IN THE MIRROR」という珠玉のメッセージソングでした。「HEAL THE WORLD」については後述しますが、マイケルは「MAN IN THE MIRROR」ではこう歌います。
「もし世界をより良くしたいなら、まず鏡の中の男(すなわち自分自身)から始めよう」「変えるんだ」
続くHIStory WORLD TOURでは、最後の3曲がメッセージソングです。ショウの開始から約2時間、地球上のあらゆるアーティストより優れた、どんなパフォーマーが見ても羨むショウを展開してきたマイケルが、その夜の最後にパフォーマンスする3曲のメッセージソング。その歌詞の一部を下に紹介します。
【EARTH SONG】
Did you ever stop to notice? All the children dead from war.
(今までに、気付こうとして立ち止まったことはあるかい?戦争で死んだ全ての子供たち。)
Did you ever stop to notice? The crying earth , the weeping shore?
(今まで、気付こうと立ち止まったかい?泣いている地球、涙を流す海岸。)
そう問い掛けたマイケルは、次に嘆きます。
I used to dream. I used glance beyond the stars.
(僕はかつて夢見た。僕はかつては星々の向うを仰ぎ見た。)
Now I don’t know where we are. Although I know we’ve drifted far!
(いま僕は自分達がどこにいるかわからない。遠くまで漂流してしまったのはわかっているのに!)
このEARTH SONGは、マイケル自ら「これが最後のカーテンコールとなる」と宣言した2009年の大規模ツアー『This Is It』でも重要な曲となる予定でした。マイケルの意志を継いだ監督ケニー・オルテガが制作したドキュメンタリー映画『This Is It』では、EARTH SONGのリハーサルの中を行いながら「アマゾンでは毎秒フットボール場の面積くらいの森林が失われていっている」「地球は病気だ。熱があるんだよ」「誰かがやるんじゃない。僕らが始めるんだ。でないと誰も成し得ない」と語っています。
そして、そのツアー『This Is It』の出演者やスタッフ全員に、マイケルから記念のブレスレットが配られました。ブレスレットの銀の文字盤の表には「THIS IS IT」,その裏には「HEAL THE WORLD」の文字が刻まれていました。
【HEAL THE WORLD】
There is a place in your heart and I know that it is love.
(あなたの心の中には、僕が愛だと知っている場所がある。)
In this place we could be much brighter than tomorrow.
(その場所では、僕たちは未来よりずっと晴れやかに輝けるんだ。)
マイケルは愛こそが最も大事であると、スピーチでも何度も訴えていました。
そして、優しく、本当に優しく続けます。
Heal the world. Make it a better place. For you and for me and the entire human race.
(世界を癒そう。もっと良い所にしよう。君と、僕と、すべての人類のために。)
There are people dying. And if you care enough for the living ,
(死にゆく人々がいる。もし君が生きることを望むなら、)
make it a better place for you and for me.
(より良い場所にしよう,君と僕のために。)
柔らかな歌声で、まるで地球を包み込むかのように両手を広げて穏やかに歌うマイケル。
「HEAL THE WORLD」は柔と剛でいえば、明らかに柔のメッセージソングです。
続く「HIStory」は、1曲の中に柔と剛の混ざった作品です。
以下に抜粋するのは、柔の部分の歌詞です。
【HIStory】
How many people have to cry?
(どれだけ多くの人が泣かなければならない?)
The song of pain and grief across the land.
(苦痛と悲嘆の歌が大地を渡っていく。)
And how many children have to die?
(そして、どれだけ多くの子供が死ななければならない?)
Before we stand to lend a healing hand.
(僕達は癒しの手を貸すために立ち上がる前に。)
Everybody sing.
(みんな、歌おう)
パフォーマンスするマイケルのまわりはダンサー,バックコーラスやバックミュージシャンで埋まり、数十の国旗がはためき、そしてキラキラの大量の紙ふぶきが舞います。
さながら革命の様子です。
このパフォーマンスをひっさげて国から国へとワールドツアーを敢行するマイケルのニュースが1996年当時の番組で流れ、あるコメンテーターは「まるでマイケルが、各国を回りながら全世界統一を成し遂げていっているようだ」と表現しました。
そして、ショウの最後はマイケルの、この歌詞で締め括られます。
A soldier dies. A mother cries. The promised child shines in a baby’s eyes.
(一人の兵士が死ぬ。一人の母が泣く。赤ん坊の瞳の中で、希望あふれる子供の姿が輝く。)
All the nation , sing “Let’s harmonize all around the world.” (全ての国家よ、歌おう。’世界中を調和させよう’と。)
■プロフィール:藤岡良介 (通称 かあくん)
1987年、テレビで放映された日本公演を見てマイケルのファンになる。1988年12月26日、当時は小学生だったので親に連れられ東京ドームでBAD TOURを鑑賞。コンサート中にスタッフから『マイケルと一緒に踊らないか?』と誘われ『BAD』演奏中のステージに上げてもらい、マイケルと共に踊る。以来、27年に亘るマイケルのファン。